千利休が確立した一汁三菜・懐石について

yamashita
2018.05.13

はじめに

今回は、私たちの食の基本である「一汁三菜」にスポットをあててみましょう。普段から私たちの食事といえば、ご飯とお味噌汁、おかず数品というのが定番になっていますが、このスタイルを確立したのは茶人「千利休」だといわれています。

 

 

■「千利休」が登場する前とその後の食事スタイル

私たちの食事の基本形である「一汁三菜」は、戦国時代の頃に「茶の湯」を広めた千利休によって確立されたといわれています。

しかし、ご飯と汁、魚や漬け物といった献立で食事をしている様子が平安時代の絵巻物にも描かれているので、庶民の基本的な食事のスタイルは変化していないようです。

 

ただし、文献に「一汁三菜」という言葉がはじめて登場するのは千利休の頃で、平安時代の文献には、一人ひとりにあてがわれたお膳で食事をする「銘銘(めいめい)膳」という食事スタイルが記されています。

 

室町時代後期から戦国時代にかけて、武家社会の間では「本膳料理」という豪華な食事のスタイルが流行りました。

「本膳料理」は、一の膳からはじまり、二の膳、三の膳と豪華に盛り付けられた料理が次々に提供される食事のスタイルです。

 

茶の湯の世界でも金箔などで豪華に飾り立てたお膳や食器に二の膳、三の膳が盛られて提供されていたようです。

こうした、華美な茶の湯料理のあり方と決別する意思を示したのが「千利休」で、自ら一汁二菜ないしは一汁三菜を実践しました。

 

千利休の茶の湯のスタイルは当時戦国武将の間で流行っていた本膳料理風とは一線を画しており、後の時代の懐石料理のスタイルのルーツになっています。

 

千利休の懐石料理は「引菜」で料理が提供されていた点に大きな特徴があります。「引菜」とは料理を盛りつけた鉢を、同席した客から客へと手渡していくスタイルのことで、給仕をする人を用いないことで、茶室の中の平等な空気をそこねないように工夫していました。

 

 

■「南方録献立」に記録されている千利休の懐石料理

「南方録」とは、立花家に伝わる千利休の秘伝書で、千利休の談話を僧侶の「南坊宗啓」が書き写した書物とされています。それによると、千利休は旬の食材にこだわりを持って一汁三菜を調理していたようです。

 

・汁

ザクザク(根菜類の汁)、ヨモギザクザク、干葉・ほしは(天日干しの大根や葉、茎などを汁の具にしたもの)、カブラ、イモノクキ、納豆、ツクシ、タケノコ、シメジ、ササゲ、ナメススキ(ナメタケやエノキダケの汁)

 

・菜

ナマス、柚子ナマス、細切り青スのナマス、鳥のナマス(鶉・ウズラ、小鳥)、マナガツオの刺身、鯉の洗い、酒ビテ(干した魚や肉を酒に浸したもの)、ナシモノ(塩辛)、ウメカツオ、アサツケ、香の物

 

・煮物

煮しめ(ハラハラ、芋、ゴボウ)、煮しめ(麩、青メ、豆腐)、串アワビ、蒸しカブラ、雲雀のノッペイ、葛豆腐、湯豆腐

 

・焼き物

鮭の焼き物、鯛の焼き物、小鮎の焼き物、鴈のヘギヤキ、カワラケ二雲雀、カワラケ二鶉(ウズラ)、田楽、ウナギ

 

・菓子

焼き栗、栗、水栗、炒りカヤ(カヤの実を炒ったもの)、センベイ、フノヤキ(小麦粉を水でといて薄く焼き、味噌をつけて巻いたもの)、コブアブリテ(昆布を炙ったもの)、ザクロ、梨、よもぎもち、焼き芋、黒豆、ヒヤシモノ(季節の瓜や野菜、果物を冷たい塩水に浮かべたもの)

 

 

まとめ

千利休が確立した「一汁三菜」について、歴史をたどりながら探ってみました。「南方録献立」に記録されている千利休の懐石料理を見ると、私たちが普段食べているナマスや煮物、焼き魚、焼き鳥などが登場して、日本料理の基本は昔からそれほど変化していないことがわかります。ナマスは万葉集にも登場しています。

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