スタミナとタフな精神力を持った名馬『トニービン』が遺したもの

馬の耳に小林
馬の耳に小林
2024.12.10

「トニービン」が日本のレースに出走したのは、たった1度だけ。トニービンはレース後にそのまま日本で種牡馬入りし、日本競馬をいまもなお陰から支えてくれている名馬です。種牡馬のイメージが強い「トニービン」ですが、現役時代はどんな馬だったのでしょうか。産駒の傾向と合わせてご紹介します。

 

初のジャパンカップ出走凱旋門賞馬

画像:筆者撮影

日本では、種牡馬として名前が広く知られている「トニービン」

日本で初めてジャパンカップに出走した凱旋門賞馬です。競走馬のトップともいえる凱旋門賞馬が日本で走るとあり、当時の日本は熱狂に包まれましたが、結果は5着。とはいえ、このときのレース中にトニービンは骨折をしており、底知れない強さと精神的なタフさを感じさせます。骨折を発症していなかったら、突き抜けて圧勝していたかもしれませんね。

ジャパンカップを最後にトニービンは引退し、日本の社台グループ・吉田善哉氏が購入。第二の馬生を種牡馬として日本で過ごすことになります。

 

トニービンの現役時代

画像:photoAC

トニービンは、現在でこそ強さが語り継がれていますが、特段血統面で目立った華やかさはなく、アイルランドでセリに出された当時は、高い評価は受けませんでした。実際にセリ落とされた価格は、当時の日本円で60~70万円程度だとされています。

デビュー後は2連勝、2歳~3歳のときにはレースで善戦するも、勝ち切れない競馬が多くありました。4歳に入ると、少し遅咲きではありながらメキメキと成長を遂げ、はじめて凱旋門賞に出走。2着に善戦し、5歳で再挑戦した同レースで直線突き抜けて勝利をおさめます。

トニービンは目立つ瞬発力はありませんが、トップスピードに乗ってからは長く脚を使え、体力・精神力ともに非常にタフなのが特徴です。

その才能を遺憾なく発揮し、現役時代は27戦15勝という輝かしい戦歴を残しています。

 

種牡馬として日本で活躍

画像:筆者撮影

引退後は日本で種牡馬になったトニービン。残念ながら2000年3月10日に、急性心不全でこの世を去りましたが、種牡馬としても、とても優秀な結果を残しました。

初年度からベガ(二冠牝馬)、ウイニングチケット(ダービー馬)、ノースフライト(安田記念、マイルCS優勝馬)、サクラチトセオー(天皇賞秋優勝馬)と有力馬を次々と輩出。1994年にはリーディングサイアーにも輝くなど、華々しい記録を樹立しています。

母父としてもその血は受け継がれ、アドマイヤベガアドマイヤグルーヴハーツクライカレンチャンルーラーシップシルヴァーソニックなど、多くの名馬が残したレースで、強いトニービンの面影をみることができます。

 

現代競馬で面影を追う

画像:photoAC

トニービンの産駒は、長く脚を使える直線の長い東京(芝)コースを得意とし、数々の勝利に繋がっています。東京競馬場芝コースでG1勝ちをしている産駒が多いため、トニービンの息がかかった馬は東京でしか走らないと思われがちですが、実際はそうではありません。

事実、2021年の中山競馬場芝1800m重賞では、スプリングS・フラワーC・中山牝馬S・中山記念のすべてにおいて、全3着内馬の4代血統内にトニービンが含まれています。

距離こそ違えど、2024年12月22日(日)に中山競馬場で予定されている有馬記念では、ドウデュースアーバンシックローシャムパークダノンベルーガレガレイラなどの有力馬が4代血統内にトニービンを有しており、結果に注目したいところです。

なかでも、有馬記念で引退することが決定しているドウデュースを話題から外すことはできません。ドウデュースは、有馬記念のファン投票で歴代最多47万8415票を集め、人気の高さを証明しました。秋古馬三冠に王手がかかっている今、トニービンのタフな精神力を受け継いで、有終の美を飾ってくれることを願っています。

 

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