はじめに
茶道の歴史において仏教、特に禅宗とのかかわりはとても重要な要素です。そこで、今回は、茶道と深く結びついている禅の考え方についてお話ししたいと思います。禅において一番大切な問題は安心の問題です。みなさんは安心して毎日を過ごしておられますか?
■不安だらけの人生に安心を求めて
茶道の考え方や作法を世界に広めたのは、哲学者「鈴木大拙」氏の貢献が大きいと言われています。「鈴木大拙」氏は禅の研究で世界的に知られている哲学者です。
なぜ私たちは未来やさまざまなことに不安を持つのか、「鈴木大拙」氏はこう言っています。「それは自分たちではどうにもならない「モノ」が存在しているからだ」
私たちは自分の意志で望んでこの世界に生まれてきたわけではありません。つまり、生まれてきたときすでに私たちは、自分ではどうにもならないある大きな「モノ」と遭遇しています。生れるときもそうですが、ほとんどの人にとっては死んでいくときもその大きな「モノ」が決定権を持ちます。
その大きな「モノ」は「運命」という言葉で片付けられるのかもしれません。または「無為自然」という考え方でしょうか。しかし、禅では身体「モノ」という牢獄に捕らわれている状態と考え、そこから脱出して安心を得るために「公案」という修行が行われてきました。
修行の身である雲水は師匠から「公案」という課題を与えられ、数年かけて答えを探します。一定数の「公案」を解いてはじめて住職になれるという禅寺があるくらい「公案」は禅宗の大切な修行の一つです。
この「公案」を解く修行の中で歴史に残る数々の「禅問答」や「悟り」が生まれ現在に語り継がれています。
ある禅寺に、師匠から与えられた「公案」をずっと考えていたけれど、答えが見つからずいらいらしている雲水がいました。その雲水は寺の戸締りをして回る途中、いらだちのあまり鍵の輪を放り投げます。鍵の輪は「ガチャ!」という音をたて、その瞬間に雲水は「公案」の答えを見つけました。
ほかにも、竹林に石を投げつけて竹にあたり「カチン!」という音がしたのを聞いて「公案」の回答を得たという雲水の逸話なども残されています。
「公案」を解いた雲水たちは、その瞬間に身体「モノ」という牢獄から脱出する方法を見つけ出したのでしょう。見つけ出した答えは「今この瞬間にしか人は生きられない」ということだったのかもしれません。
■お茶席での一期一会
茶道には心静かにお茶を飲む時間を大切にする「一期一会」という言葉があります。よく聞く言葉だから知っているつもりでいますが、この「一期一会」、禅にも通じる奥の深い言葉です。
静寂の中、お茶をたてる亭主の手元をじっと見つめる。掛け物や花、茶碗や茶道道具などを鑑賞して静かな空間で過ごす時間は、身体「モノ」という牢獄から解放されている瞬間だと思います。「今この瞬間にしか人は生きられない」そのことを理解した人は静と動を使い分けるすべを知り、行動力のある性格に変わっていくはずです。
近代の事業家や財閥の創業者に茶道家が多いのは、そのことと関連しているのかもしれません。そういえば、千利休も今井宗久も商人でしたね。
まとめ
今回は、茶道と深いかかわりを持つ禅について触れてみました。お茶の世界も禅の世界も奥が深いですね。次回はもう少し踏み込んだ禅の興味深い内容でお届けします。