はじめに
前回、禅宗は茶道と深い結びつきがあるというお話しをしました。今回はその2弾として、禅に一歩踏み込んで、安心の問題について解説していきたいと思います。お茶は私たちの安心の問題と深いかかわりを持っています。
大燈国師が師匠・大応国師から与えられた「考案」
人はだれでも将来に不安を抱えて生きています。仏教、特に禅の世界では、不安を抱えて生きている状態は自分という牢獄に捕らわれている状態だと考えました。自分という牢獄から脱出するために、師匠は弟子に「考案」という課題を与え、弟子(雲水)は何年もかけて答えを探します。
大燈国師がまだ若い雲水の頃、師匠である大応国師から難しい「考案」(課題)を与えられました。その「考案」(課題)とは以下のようなものです。
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翠巌の「一夏以来兄弟のために説話す、(本来は、不可説の法を説くと罰があたって眉毛が落ちるというが、見よ、翠巌の眉毛はありや)」という問いに対する雲門の答えは「関・かん」であった。その「関・かん」の字を見よ!
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大燈国師は、「関・かん」の字に全心身を注いで、しかも「関・かん」という言葉の意味すらわからないまま、日夜思い悩んでいました。
そしてある日、嫌気がさした大燈国師は鎖の付いた鍵の輪を放り投げることになります。鍵の輪は「ガチャ!」と音とたて、その瞬間、大燈国師は、「豁然として関字を打透し・忽然として大悟す」と叫んで、師匠から与えられた「考案」(課題)の答えを見つけ出しました。
この時聞いた「ガチャ!」は、大燈国師にとって「言葉ならざる言葉」「宇宙の根源的な出来事」「根源的な自由」だったのでしょう。
大燈国師は「ガチャ!」を聞いた瞬間に自分という牢獄から脱出することができたのでしょうか。大燈国師にとって自分という牢獄からの脱出とは「宇宙の裂け目で間髪入れずに行動すること」だったのではないでしょうか。
茶室空間は「宇宙の根源的な出来事」
茶道には作法があって、茶を点ててお客様をもてなす動きの一挙手一投足が美しい動作でなくてはなりません。
「宇宙の裂け目で間髪入れずに行動すること」が、茶道でいうところのお点前にあたります。そのことを理解している亭主のお茶会には、「豁然・かつぜん」とした、または蒼然とした雰囲気が漂っています。
そのような亭主が催す茶会を経験した人は、「間髪入れずに行動する」すべを知り、「一期一会」の本当の意味を理解するでしょう。そして素直な心で周囲の人たちと打ち解けられるはずです。
まとめ
禅と茶道の関りについて、2回に分けて解説してきました。文章にすると茶道も禅も哲学的でとても難解になってしまいますね。茶道は本来、若々しくて溌剌とした世界です。これからも茶道の面白さをみなさまにお伝えできればと考えています。