ジミ・ヘンドリックスはどんなミュージシャンだった?今一度聴きたいジミヘンについて紹介

泉水ちか
2022.04.12

ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)ことジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix)は、アメリカのギタリスト、シンガーソングライターです。

日本では、「ジミヘン」と呼ばれることも多く、ロックギターの神様として有名ですよね。今回は、ジミ・ヘンドリックスの経歴や特徴などをご紹介します。

幼少期~青年期

1942年11月27日生まれのヘンドリックスは、幼い頃に母親が出奔するなどあまり家庭環境には恵まれませんでした。父方の祖母が純血のアメリカ先住民だったため、たびたびインディアン居住区で暮らした経験があったそうです。彼の楽曲には、こういった幼少期の体験が生かされています。

レコードで多くの音楽を聴き、独学でギターを習得したヘンドリックスは、アマチュアバンドで活動して経験を積みます。その後、陸軍に入隊して従軍。この経験が、のちのウッドストック・フェスティバルにおける「星条旗(アメリカ国歌)」の演奏につながったとも言われています。ちなみに、ちょうどベトナム戦争が始まったばかりでしたが、彼がベトナムの戦地に赴くことはなかったそうです。

渡英~成熟期

除隊後に本格的な音楽活動を開始しますが、当時は無名のバックミュージシャンに過ぎませんでした。アイク&ティナ・ターナーやアイズレー・ブラザーズ、リトル・リチャーズなど数々の有名ミュージシャンのバックでギターをプレイし、全米各地へのツアーにも同行。1966年、彼のギター演奏を聴いて感銘を受けたアニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーが渡英を勧めます。この時、イギリスにも自分のようなブルース系のミュージシャンがいるのか尋ねたヘンドリックスに対し、チャンドラーは「エリック・クラプトン」の名前を挙げたそうです。

ロンドンでのオーディションを経て「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成。この時に「ジミ・ヘンドリックス」と改名しています。イギリス国内で精力的にライブ活動を行いつつ、デビューシングル「Hey Joe/Stone Free」をリリース。全英4位を獲得しました。

伝統的なアメリカのブルースを基本としながら、誰もやったことがない斬新なギターサウンドや高度な技術で神がかった演奏を披露し、ロックファンだけでなくプロのミュージシャンたちにも大きな衝撃を与えました。

強いパーマヘアスタイルやファッショナブルなスタイルはもちろん、左利きでありながら右利き用のギターを逆さまにして構えたり、ギターを歯で弾いたり背中に回して弾いたりする派手なパフォーマンスも話題に。デビューしてからわずか4年ほどの活動期間で、ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を及ぼします。

1967年の夏、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは米カリフォルニア州モンタレーで開催された世界初の本格的野外ロックフェスティバル「モンタレー・ポップ・フェスティバル」に出演。ヘンドリックスは、このステージで華麗な演奏とギター燃やしのパフォーマンスを炸裂させ、アメリカでも一気にスターダムにのし上がりました。

アメリカ期

母国アメリカで成功を収めた後は、アメリカを本拠地として活動するようになります。全米中をツアーする過密スケジュールの合間にレコーディングも続け、1968年にアルバム「エレクトリック・レディランド」をリリース。このあたりから、バンドや周辺の人間関係が悪化していき、バンドは解散、ビッグバンド形態としての新バンド「ジプシー・サンズ&レインボウズ」を結成します。1969年のウッドストック・フェスティバルにはこのバンドで出演し、「星条旗(アメリカ国歌)」を演奏。その後、3人編成の「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成しますが、このバンドもすぐに解散してしまいます。

1970年9月、滞在中のロンドンのホテルで急逝。

没後50年以上経った現在でも、ロック史上最高のギタリストとして評価されており、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第1位、2011年の改訂版でも第1位に選ばれています。

まとめ

メロディラインとリズムラインを一本のギターで弾く画期的なエレキギター演奏技法、エフェクターを多用することで生み出す斬新な音、次々に繰り出されるアドリブ演奏など、ジミ・ヘンドリックスが後世のロック界に遺したものは多大です。史上最高のロック・ギタリストの音楽を今一度聴いてみませんか?

「エクスペリエンス・ヘンドリックス~ベスト」
ジミ・ヘンドリックス

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泉水ちか
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