2018年ワールドカップが先程開幕した。
そこで世界のサッカーの歴史の一端を担った選手を紹介して行きたいと思う。
ロベルト・バッジォ(Roberto Baggio)
生年月日 1967年2月18日
出身 イタリア ヴェネト州 ヴィチェンツァ カルドーニョ
所属クラブ・通算成績
1982~85年 ヴィチェンツァ(セリエC1)36試合13得点
1985~90年 フィオレンティーナ(セリエA)94試合39得点
1990~95年 ユベントス(セリエA)141試合78得点
1995~97年 ACミラン(セリエA)51試合12得点
1997~98年 ボローニャ(セリエA)30試合22得点
1998~00年 インテル(セリエA)42試合9得点
2000~04年 ブレシア(セリエA)95試合45得点
イタリア代表
1988~99年 出場55試合27得点
個人タイトル
1990年 ブラヴォー賞
1993年 オンズドール
1993年 バロンドール
1993年 FIFA世界年間最優秀選手
2004年 ゴールデンフット賞
類まれなるファンタジスタ
・幼少期
彼は、イタリア ヴェネト州 ヴィチェンツァ カルドーニョにて幼少期を過ごした。そして、彼のプロへの第一歩は地元チームであるヴィチェンツァ(セリエC)のユースチームから始まった。
82~85年まで所属したヴィチェンツァで当初16歳であったバッジォは、3シーズン合計12得点をマークし、一躍イタリアにその名を轟かせることとなった。
・フィオレンティーナ時代
85年に巨額の移籍金でフィオレンティーナに移籍した彼は、85~87年の2シーズンはケガに見舞われ、ほとんど出場する事ができなかったが、怪我が癒えた彼にとってのフィオレンティーナでのサードシーズンである87~88年シーズンから徐々に得点を積み上げていく。
・ユベントス時代
フィオレンティーナでその才能を発揮したバッジォは多額の移籍金でセリエAの名門であるユベントスに移籍することとなる。
このユベントス時代が彼のキャリアの絶頂期であり、92~93年のシーズンで生涯自己2番目の記録となる1シーズン21得点を挙げ、バロンドールなどの名だたる賞を獲得したのであった。
そして、94~95年シーズンで人生初のスクデッド(セリエA優勝)を勝ち取った。
・ACミラン時代
しかし、当初の監督であるマルチェロ・リッピとのそりが合わず、怪我も重なっていたバッジォはアレッサンドロ・デルピエロにポジションを奪われることとなりACミランに移籍する。
移籍1シーズン目となった95~96年でバッジォは再びスクデッドを獲得した。
しかし、新しく就任した監督アリーゴ・サッキの信頼を勝ち取ることができず、出場機会を減らした彼は、自分の意志とは別にクラブの意思でボローニャに移籍することとなり、わずか2シーズンでACミランを去ったのであった。
・ボローニャ時代
97~98年シーズン、バッジョはボローニャで輝きを取り戻す。それは1シーズン自己最高得点となる22点の記録をみても明らかである。
これはACミランに冷遇された意地を見せつけたのかも知れない。
・インテル時代
98~00年シーズン バッジォは、苦しい時代を過ごすことになる。成績不振から度重なる監督の交替もあり、真価を発揮することはできなかった。
・ブレシア時代
キャリア最後となるチームをバッジォは、ブレシアという名門とは言い難いチームを選んだ。生まれ育った故郷の近くのチームを選んだのは、彼自身キャリア最後となるチームと考えていたのかもしれない。
このブレシアで、00~04年と4シーズン過ごし、いずれのシーズンも2桁ゴールを記録している。
・イタリア代表
サッカー界では有名な94年ワールドカップアメリカ大会、ブラジルとの決勝戦で彼は、PKをはずした。
しかし、あの舞台裏バッジォは足を痛めながらも満身創痍でイタリアを決勝戦の舞台まで導いていたのだ。
後に彼はこういった名言も残している。
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
ロベルト・バッジォ プレイ集
出典 YouTube
まとめ
イタリア史上最も監督に嫌われ、最もファンに愛されたロベルト・バッジォ。
彼は完ぺきなサッカープレイヤーとは程遠かった。
しかし、観る者を魅了するプレイはどのサッカー選手にも真似できるものではなかった。
ケガも多くユーティリィティな選手ではなかった彼が、多くのファンに支持されたのは、「きっと彼なら何かを起こしてくれるかもしれない」「次はどんなプレイをしてくれるのだろう」といったような期待を、世界のどのトッププレイヤーよりも抱かせてくれ、またサッカーに人生を賭け、成功も挫折も手にした人間味溢れる人柄がそうさせたのかもしれない。
バッジォ名言集
「僕の知っているドーピングはただ一つ努力だ」
「今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない」
「諦めるより夢を見る方が性に合っている」