以前、紹介したことがあるサンデーサイレンスとウインドインハーヘアを両親に持つ「ディープインパクト」。競馬を詳しく知らなくても、その名前を一度や二度は耳にしたことがある方が多いのではないでしょうか。それほどまでに認知されているディープインパクトとは、どのような競走馬だったのでしょうか。今回は、「日本近代競馬の結晶」ともいわれたディープインパクトをご紹介します。
父譲りの小柄な馬体
画像:筆者撮影
ディープインパクトは、2002年3月25日に北海道のノーザンファームで誕生します。0歳時にセレクトセールに上場されたときには、体つきのバランスは良いものの、馬格も小さく華奢で決して見映えが良いわけではありませんでした。このとき、ディープインパクトは金子真人氏に7,000万円で落札されます。これは同時期のサンデーサイレンスの産駒14頭のなかでも9番目という価格であり、決して評価は高いものではありません。華奢で見映えするわけではない小柄な馬格というのは、父サンデーサイレンスの生い立ちに通ずるものがあります。
金子氏は、ディープインパクトの透き通った瞳に魅了されたとしています。内に秘めた素質が目からあふれ出ていたのかもしれませんね。
坂路調教で才能を見せつける
1歳馬のイヤリング厩舎に移動したディープインパクトは、はじめこそ関節不安で運動制限があったものの、蹄から血が出ても走るのをやめなかったほど元気に走り回っていたとされています。2004年には池江泰郎厩舎に入厩し、本格的な調教が始まります。このころになってもディープインパクトは小柄で、「強い競走馬」としての印象を周囲に与える馬ではありませんでした。
ところが、入厩後の坂路調教で出した初タイムは、調教師が目標としていた58秒~59秒というタイムを大きく上回る54秒前半をたたき出し、周囲にその才能の片鱗を見せつけたのでした。新馬戦前にディープインパクトの調教に騎乗した武豊騎手も、「この馬、ちょっとやばいかも」という言葉を残しています。
数々の記録を樹立する名馬に
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阪神競馬場で開催された2歳新馬戦では、ディープインパクトは2着馬に4馬身差をつけた華々しいデビューを果たします。その後は、当時の日本競馬史上2頭目である無敗でのクラシック3冠を達成。通算成績は、14戦12勝(12-1-0-1)という目を見張るような成績を残しています。
一般的に小柄な競走馬は、レースによってはパワー不足になることがありますが、ディープインパクトは、現役時代も436kg~452kgとやはり小柄なままでした。唯一ディープインパクトに土をつけたハーツクライの第50回有馬記念出走時の馬体重は498kg、ディープインパクトとは約60kgもの馬体重の差。小柄な名馬ディープインパクトの存在は、小柄だから走らないというのではなく、小柄な馬はケガをしにくいメリットがあるとホースマンの概念を覆すことにもなりました。
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2006年には日本調教馬で初めて世界ランキング1位(芝部門・長距離部門)となったほか、2005年JRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬、2006年年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬受賞、 2008年顕彰馬に選出されるなどの記録を樹立。2006年中山競馬場で開催された第51回有馬記念で、有終の美を飾り、ディープインパクトは惜しまれながらターフを去ることになります。
種牡馬としても活躍
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2007年からは種牡馬として多くの産駒を輩出。社台スタリオンステーションが、金子オーナーからディープインパクトを種牡馬として買い戻した金額は51億円にものぼるとされ、セレクトセールからは考えられないほど高額に。セレクトセールで周囲が感じた印象と、引退後のディープインパクトへの評価に大きな変化があったことが金額で見て取れます。
2012年から11年間連続でリーディングサイヤーに輝き、種牡馬としても大活躍したディープインパクトでしたが、2019年7月30日に頸椎骨折から天国へ旅立ちました。この世にもうその存在はありませんが、日本競馬史に多くの爪痕を残し、多くの人に感動を与え、今もなお史上最強馬の印象を与え続けるディープインパクト。
ディープインパクトは、名騎手武豊氏に「英雄」と呼ばれ、「日本近代競馬の結晶」や「日本競馬の至宝」「究極のサラブレッド」などと称されてきました。華々しい成績もさることながら、ディープインパクトほど周囲の人々を魅了するスター性を持つ馬が今後現れることはあるのでしょうか。